プロジェクト要約:特定非営利活動法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は、広島・長崎の被爆者の体験と想いを世界に伝えるため、オンラインミュージアム「NO MORE HIROSHIMA&NAGASAKI MUSEUM」を開設しました。このミュージアムでは、被爆者の証言や原爆被害の実態を多言語で公開し、核兵器の非人道性を訴えています。
プロジェクトURL:広島・長崎の被爆者の思いを世界へ届けるオンラインミュージアムをつくりたい!
展示だけで終わらせないために:訪問者から寄せられた声の力
岸野:今回のプロジェクトの背景について教えていただけますか。
林田さん:このプロジェクトは、被爆者の方々が国連で展示した「原爆展」をオンラインで公開し、より多くの人々に見てもらえる形にすることを目指して始まりました。被爆75周年に国連で展示されたパネルを見た際、「これをもっと多くの人に知ってもらいたい」という思いが強まり、オンラインミュージアムの構想が生まれたんです。また、このアイデアは、原爆展が一時的に東京で公開された際に訪れた方々から寄せられた「これを展示だけで終わらせるのはもったいない」という声に後押しされたものでもあります。
岸野:訪問者の声が実施のきっかけの一つになったんですね。プロジェクト実施にあたり、なぜ、クラウドファンディングをされたのでしょうか。
林田さん:クラウドファンディングは単なる資金調達だけでなく、広報活動や支援者とのネットワーク構築も同時に行える点が大きな魅力でした。私たちのように「活動そのものが目的」という団体にとっては、非常に相性が良い方法です。活動報告を通じて支援者と継続的なコミュニケーションが取れ、新たな仲間とのつながりも生まれるという点が特に魅力的でした。
岸野:クラウドファンディングで得た資金はどのように活用されましたか。
林田さん:集まった資金は著作権対応やデジタル化に使用しました。また、広報活動やSNS運用にも資金を充てることで、より多くの人々にプロジェクトを知ってもらうことができました。この資金があったからこそ、オンラインミュージアムを形にすることができたと思っています。
視覚で伝える:オンラインミュージアムの工夫
岸野:このプロジェクトを進める中で、どのような課題がありましたか。
林田さん:大きな課題の一つは、資料の著作権の調整です。国連展示用に借りた写真や資料をオンラインで公開するには、新たに許可を取る必要がありました。この手続きには時間や費用がかかり、全ての資料をオンライン化するのは非常にハードルが高かったです。
他にも、オンラインでは閲覧者が自分で解釈するため、誤解を防ぐ工夫が必要でした。特に、被爆者の証言や核兵器の脅威を正確に伝えるために、補足情報を加えたり、資料へのアクセス導線を設計するなど、多くの時間を割きました。さらに、視覚的に分かりやすい工夫を施すことで、アナログ展示での解説員がいない分を補いました。
岸野:これらの課題をどのように乗り越えたのですか。
林田さん:クラウドファンディングの支援を受けることで、著作権の許諾費用や技術的な課題を解決するためのリソースを確保しました。また、チーム全体で意見を出し合いながら、閲覧者がより深く理解できるような工夫を凝らしました。結果として、資料の質を高め、世界中の人々に届けることができるオンラインミュージアムが完成しました。
未来に生きる教訓:被爆者の声を記録する使命
岸野:プロジェクトでは「活動史」にも焦点を当てていると伺いました。それについて詳しく教えてください。
林田さん:活動史の中で重要なことは、被爆者が広島や長崎を離れた後に直面した孤独や差別の記録です。たとえば、被爆者手帳があることで、被爆の事実が他人に知られてしまい、職場や近所で差別を受けるという状況がありました。こうした問題は、原爆資料館ではあまり取り上げられません。この被爆後の人生における苦労や国との対峙、そしてコミュニティの中で孤立しながらも生き抜いてきた事実を知ることで、核兵器の使用が社会に与える長期的な影響を理解することができます。
岸野:そうした記録は、どのように資料化されているのでしょうか。
林田さん:被爆者自身が記録した資料をデジタル化することで、活動史として体系的に保存しています。これには、戦後の生活の苦労や、核兵器廃絶を目指す活動の歩みが含まれます。特に、戦後の社会で差別や孤独に耐えながらも、次世代のために証言を続けた彼らの勇士を記録として残すことは、未来への大切な教訓だと思います。活動史をオンラインで公開することで、世界中の人々にこれらのエピソードを届けられるようになりました。
岸野:活動史の記録を公開することで、どのような反響がありましたか。
林田さん:活動史に触れた多くの方から、「核兵器の被害がこれほど長く続くものだとは思わなかった」という驚きの声をいただいています。また、単に過去の出来事としてではなく、現代の課題として核兵器廃絶を捉えるきっかけにもなっています。こうした反響を受け、被爆者の証言や活動をさらに多くの人に届ける責任を感じています。
国内外からの反響が広げる平和学習の輪
岸野:現在オンラインで進められている「No More Hiroshima & Nagasaki Museum」に対する反響はいかがですか。
林田さん:ここまで網羅的に被爆証言を学べるツールはこれまでなかったので、多くの方々から非常に好評をいただいています。例えば、修学旅行の事前学習の資料として活用されたり、被爆証言会の前に基本的な知識を学ぶために使われたりしています。ウェブサイトのURLを共有して「これを見ておいてください」といった形で利用されることが増えていますね。
岸野:教育現場以外でも反響は、ありましたか。
林田さん:英語版も公開しているので、海外からの反響も多いです。ノーベル平和賞を受賞した直後は注目度が高まり、取材依頼や問い合わせが増えました。「被爆者にインタビューをしたい」という依頼や、「ミュージアムを見て感動しました」というメッセージが寄せられることもありました。このサイトが情報発信の窓口として機能していることを実感しています。
岸野:そのような反響は、活動に影響がありましたか。
林田さん:そうですね。被爆の歴史を学んでもらうだけでなく、新しい活動や学びのきっかけになっていることが大きいですね。「みんなでミュージアムを見よう」といった企画も増え、より深い学びができる場として広がっています。プロジェクトの反響が、活動の幅を広げる原動力になっていると感じます。
幼少期から自然と育まれた原爆への関心
岸野:現在、核兵器防止や被爆者支援の活動に、意欲的に取り組まれていますが、関心を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。
林田さん:私は長崎生まれで、幼い頃から原爆について学ぶ環境にいました。家族では、特に父方の祖父が被爆者だったため、被爆体験が家庭で話題になることが多かったんです。近所にも被爆者が多く、昔話を聞けばそれが自然と原爆の話に繋がるような環境で育ちました。そのため、特別なきっかけというより、そうした背景が自分の関心を育ててくれたと思います。
岸野:周りの環境が自分の関心を育ててくれたという表現は、非常に興味深いですね。原爆に対して、強い関心を持たれているなかで、いつごろから、行動にも起こすようになったのでしょうか。
林田さん:やはり高校生平和大使、高校生1万人署名といった市民活動との出会いが大きかったですね。小学生時代の先生がその活動を立ち上げた方で、その影響もあり、自然と興味を持つようになりました。中学3年生の頃からその活動に参加し始め、最初は「海外で英語のスピーチをするのがかっこいい」といった憧れからでした。しかし、活動を通じて被爆者や他の活動家と交流を重ねる中で、次第に使命感や責任感が芽生えていきました。
岸野:被爆者や他の活動家との交流が、林田さん自身に、どのような影響を与えたのでしょうか。
林田さん:被爆者の方々が自分たちの苦しい経験を語り続ける姿に強い感銘を受けました。被爆証言は、思い出したくない過去と向き合い続ける、被爆者にとっては、非常に辛い活動です。それでも彼らは「二度と同じことを繰り返させない」という強い思いで語り続けています。その姿を見て、私自身も「気づいた以上、何もしないわけにはいかない」と感じるようになりました。
岸野:そうした経験が活動の原動力になっているんですね。
林田さん:被爆者の皆さんの想いを受け継ぎ、次の世代に伝えることは私の使命だと感じています。この活動が私自身を形作り、これからも続けていくべきだと強く思っています。
理想の社会:核兵器のない平和な社会
岸野:最後に、理想の社会像について教えてください。
林田さん:私が目指すのは、核兵器のない平和な社会です。しかし、これは自然に実現するものではなく、みんなが「社会は自分たちが作るもの」という意識を持つことが重要です。一人ひとりがその意識を持てば、もっと楽しい社会が実現すると信じています。
岸野:そのような社会を目指す中で、具体的にどのような行動が必要だと思いますか。
林田さん:声を上げることが重要だと思います。被爆者が長年語り続けてきたように、行動がルールや社会の景色を変える力になるからです。核兵器禁止条約の成立やLGBTQの方々が権利を得た事例など、人が行動すれば社会は変わります。これを一部の人だけでなく、誰もが実感できるようになれば、より希望に満ちた社会になると思います。
編集後記:
今回のインタビューでは、核兵器のない平和な社会を目指して活動されている林田さんにお話を伺いました。読者の皆さんにとって、「核兵器」とはどのような存在でしょうか。身近な問題と感じる方もいれば、他人事と考える方もいるかもしれません。たくさんの捉え方がある中で、林田さんのお話を通じて、核兵器の問題が決して遠い存在ではないことを改めて実感しました。2024年現在。林田さんの言葉にもあったように、核兵器の脅威は私たちに一刻、一刻と、近づいています。この状況だからこそ、核兵器というという視点を通じて、平和構築のあり方を考えることが、ますます重要になってくるのではないでしょうか。今回の記事が、読者の皆さんにとってその第一歩となるきっかけになれば幸いです。林田さん、このたびは貴重なお話をありがとうございました。